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1960年 |
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広島県 尾道市に生まれる。 |
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1970年 |
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ワールドカップメキシコ大会のペレ、ミュラーやベッケンバウアーらを知ってサッカーの虜となる。学校での絵の成績は良かったが、美術への関心はそれほどなく、サッカーそしてイギリスなど海外の音楽やファッションへの興味が強かった。そんな中でもとりわけG.ベストとJ.クライフの二人の選手はビートルズやローリングストーンズ、スティーブ・マックイーンらと同じヒーローとして映った。 |
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1976年 |
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サッカー漬けの高校時代を送る。国体代表広島選抜チームの候補選手として3度続けて選考会に招集されるも共に落選、悔いを残す。 |
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1979年 |
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卒業後 東京都社会人リーグの(株)東芝府中のサッカー部ででプレー。しかし次第に社会人としてのサッカー生活にモチベーションが徐々に薄らぎラリーなどモータースポーツに入れ込む。 |
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1984年 |
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デ クーニングやポロック、サム フランシス等のモダンアートに触れて美術に対する見方が変わる。そして退社を決意、独学で画業を志す。 |
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1985年 |
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コマーシャルアートの会社でイラストレーターとして勤務する。これまで意識しなかったドガやマネ等、印象派の巨匠の作品の凄さに気づく。この頃からトレーニングの題材としてサッカーを描くようになる。しかし、あくまでアカデミックな技法のための習作であって作品としての意識は無かった。当時はニューヨークを中心としたニューペインティングの流れの真っ只中ということもあってサッカーと無縁の表現主義的な作品を描くことに没頭。 |
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1986年 |
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退社後、尾道市のギャラリー C Areyで 個展「PAINTING」展開催。 |
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1987年 |
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何を描きたいのかと自問自答の日々。とにかく描かねばの危機感を募らせる。ただ絵の具で遊んでいるだけのような時期を過ごす。
90年イタリア大会が近づくにつれてサッカーへの思いが再燃し始める。ミケランジェロとアルファロメオとファッションの国で開催されるワールドカップ。是が非とも行かねばの思いを強くする。 |
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1990年 |
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ワールドカップイタリア大会を現地で観戦。その時サッカー作品を絵ハガキにして多数持参、あちこちでコミュニケートを楽しんだが、成熟したサッカー文化の国ゆえの反応はおおいに勇気付けられるものだった。なにか遠くに灯りを見つけた思いがして迷いが消えた。更に滞在中 ミラノのドゥオモ近くのカフェで日本から取材で来ていたサッカーダイジェストの記者&カメラマン兄弟と出会い、帰国後月刊サッカーダイジェストで挿画が始まった。 |
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